映画館のスピーカ2。2010年01月08日

 この15Aという「ROXY」ホーンには、WesternElectricの555というコン
プレッションドライバー(早い話スピーカの音を出す部分)が搭載されて
いた。
 アメリカでは当時最大級な電機メーカーが、WesternElectric。

 このブランド名が出て来たので余談を一つ。

 当時、Lansingという名前でスピーカを作っていたJBLさん。
James Bullough Lansingが正しい名前なんですが、本名James Martini
さんです。(James以外は何も合ってないです 笑)
 Bulloughは幼少期、お世話になった叔父様のミドルネームを付けて、
Lansingは、どこかの都市の名前で、響きが気に入って自分の名前に
したのでは?と伝えられています。

 このJBLさんの評判を聞いたWesternElectric社が、当時メンテナンス
を専門に請け負っていた同系会社、ALL Technical Serviceという会社
に引き抜き、オールテクニカルを略してアルテック、それにランシング
さんの名前を付けて「ALTEC-LANSING」となります。(古い話なので、
解釈は人それぞれに違います。間違っていたらゴメンナサイ)

 アルテックとJBLは親戚だ!?とか言う人もいますが、実は同一人物
なのです。

映画館のスピーカ1。2010年01月07日

システムの話から、いきなり私の得意分野であるスピーカの話へ・・・。

 チャップリンの話でも少し触れたが、映画館に入っているスピーカも
年々技術進歩する事で変わって来ている。

 今でこそシネコンやらの登場で、音響システムに多少お金を掛けてい
る映画館が増えて来たが、最近までセンタースピーカ1本だけの劇場も
少なくは無かった。
 そう! 昔の映画館は活弁士の声が一応劇場全体で聞こえていれば
良かったからである。
 なので、劇場の音響用スピーカはセンター1本から始まる。
上の写真がフルレンジのホーン(スピーカのラッパ)である。
低い音からある程度高音までカバーする為に、まさしく大きい。

 トーキー出現に伴い、音楽再生をする為にセンター1本から、左右の
スピーカがプラスされフロントが3chとなる。(今でも特殊なフォーマット
以外は、この3chは変わらない)

 そこからはドルビー研究所さまの恩恵に伴い、サラウンドやバックch
が追加され現在に至っている。

 ドルビー研究所さまが、どう関わっているのか?というと、簡単には
2トラックの音声チャンネルに、いかに多くの独立したチャンネルを作り
出す事が出来るのか?を研究されているのである。
 すなわち、記録されているのは2チャンネルなのに、ドルビーを通すと
6chの出力が取り出せるのである。 これがドルビープロロジックであり
ドルビーデジタルになると、独立したchが記録再生されている事になる
ので、似て非なる物である。
 ただ、この技術がドルビー研究所さんの特許であり、映画の音声に於
ける強い影響力を示し続けている理由である。(録音から関わらないと
成立しない技術である為)

Vitaphone。2009年12月22日

 何故このVitaphoneというシステムが使い物にならなかったかだが、
同期する信号がフィルムに入っていて、なんと裏ではレコード盤が回っ
ていた。
 当時はダイヤモンド針(と言っても分からない人が多いと思うが)とい
うような高性能な針があった訳ではない為、レコード自体の耐久性能が
著しく低かった。
 システムが高価で複雑。 尚且つトラブルが多いと来れば、普及する
ハズが無かった。 しかしながら、レコード盤の改善を進めて、音楽を題
材にした映画「JazzSinger」が、このシステムで上映され一躍トーキーの
世界が広がる。

 ただ、このVitaphoneという考え方は現在のDTSシステムと全く同じで
昔の人を侮ってはならない。

音の同期。2009年12月20日

 音と映像が同期したのは、そこから更に10数年後になる。
WarnerBrosの「DonJuan」という作品でVitaphoneというシステムが採用
された。
 StollerとPfanstiehlというおっちゃん達が開発した。
トーキー映画の始まりである。(トーキーなんて言っても昔の人でも分か
らないと思うが、活動写真の弁士すなわち活弁士がステージや舞台袖
に立ち、写真に合わせてストーリーをアナウンスするという形で当時は
上映されていた。 映像と音が同期して製作出来るというのは、夢のよ
うな話だったんだと思う。 私も知らないが・・・)
 トーキー映画初というと、「JazzSinger」なのでは?!と言われるが、そ
れには、このシステムが使い物にならなかった事が挙げられる。
 理由は次回に・・・。

余談をもう一つ、チャールズ・チャップリンはパントマイムの無声映画に
こだわったが、実はトーキー嫌いだった訳では無く、活弁士の仕事が無
くなるのを憂いたとも伝えられている。
 完璧主義のチャップリンはトーキー部分に数多くの音楽を入れて発表
した。 当時はJBLの前身Lansingというスピーカが音楽再生には向い
ていると風潮して回ったとも伝えられている。

映画の歴史。2009年12月11日

 映画は、その昔、活動写真と呼ばれていた通り、人が生み出した動く
映像装置だった。
 最初に作った人はトーマス・エジソン。
Kinetophoneと呼ばれた暗室の箱の中にフィルムが入っていて、その中
を覗く形で観る事が出来た。 1895年の事である。
 映写機の原型になったのは、それから約20年程経った1914年頃、
Kinetoscopeと呼ばれた機械が開発される。
 もちろん当時は音と同期が取れた物では無く、蓄音機による音楽や
音声と一緒に楽しんでいた。

上の写真がKinetoscopeである。